車内販売に温かいお茶が無い。 JRは日本の文化を守れ‼ オリンピック目前、猛省を促す。
[WorldNavi 2018 AUTUMN 寸鉄]
第二次世界大戦中、ドイツによる激しい空襲のさなかにもかかわらず、ロンドン市民は平然とティータイムで紅茶を楽しんだという逸話がある。文化と伝統を大事にする英国民にふさわしい話だ。 さて、我が日本において英国の紅茶に比肩する文化といえば、緑茶であろう。かつて私は大学教授であった10年ほど前、防衛省・自衛隊関係者向けの新聞『朝雲』にエッセーを連載し、『冷たいお茶と文化の消滅』と題する一文を寄せたことがある。趣旨はこうだ。 ──『お茶は単なる飲料ではなく、紛れもない日本の文化である。唐への留学から最澄や空海が持ち帰ったのが始まりで、鎌倉時代には、宋に留学していた栄西禅師が茶の種を持ち帰り、各地の寺院で薬用として茶が栽培されるようになった。室町時代になって、足利将軍家が茶を愛好するや、戦国、安土桃山時代にかけて茶は武士階級から一般町人にいたるまで広がり、千利休らによる茶道が生まれるや、茶は哲学、思想の域に達した。 日本人は茶を口にするときは、それそれぞれに格別の思いを込めてきた。湯を注いで、茶葉がお茶になるまでの間を思索の時とし、湯気の風情や香りを楽しんだ。単なるのどの渇きを癒す飲料ではなかったのである。 旅の列車でもお湯とティーバッグが出て、温かいお茶が飲めた。弁当を食べて、温かいお茶で胃に流し込む、あるいは食後の口直しにお茶を飲むのは、日本人の文化そのものではないか。 ところが今日、JR の車内販売に温かいお茶がない。お茶もどきのペットボトルに入った冷たい清涼飲料水風の〝お茶〟しかない』── コーラやジュースのようにお茶を扱うようになったのは、効率的な大量販売を狙うのと同時に、清涼飲料水に慣れた今時の日本人に対する迎合だ。と、このエッセーでは〝文化破壊者JR〟を糾弾した。実際、コーヒーはホットも備えているのに、国産文化のお茶にホットがないのは、おかしな話だ。 以来、列車に乗るたび、私は車内販売員君に文句を言ってきた。「上に伝えなさい」と。販売員の中には「お客様からそういう要望が多いので上司に伝えるんですが、なかなか改善されません」と弁明する者もいた。 文句を言い続けた甲斐があってか (?)この冬、東海道新幹線で、温かいお茶(ペットボトル)があった。しかし、喜びもつかの間、暖かい季節になると、無くなってしまった。冬季限定だったのか? JR には、JR 東海名誉会長の葛西敬之氏のような文人論客がいるのに、いったいどうしたことか? 関連会社が錯綜する巨大組織ゆえに、一番大事な接客最前線のニーズに対応できないのではないか? お茶の問題にしても、おそらく決定権のない販売員の上司は、苦情の報告を受け当惑するだろう。意を決して、さらに上申しても、販売会社の立場で改善策を実施できないのかもしれない。 一体、誰が、「接客業」の最前線で発生する事項に対し決裁権があるのか? 私は、すべからく、最高首脳陣に情報が伝達され、決定が行われるシステムを構築する必要があると提案したい。
東京駅タクシー乗り場もヒドイ!!
決定権者が最前線にノータッチのせいか、こんなこともある。東京駅八重洲北口を出たところにあるタクシー乗り場。一工夫すれば、タクシーが何台も止まれるスペースがあるのに、止まるのは二台だけで、乗客をまるで家畜のように金属製の柵の中に延々と二列に並ばせる。 タクシーの運転手に言うと、「会社の上のほうが、『業界団体に改善要望を出した が、そこに権限があるわけでもなく、うやむやになった』と言ってました」との答え。 タクシー待ちの乗客に、何やらアルバイトらしき若者たちが、駅に関するアンケートをとっていたので、例によって「国際都市東京の玄関にふさわしくない。改善すべきだと上に伝えて」と言った。そうしたら、何と隣に並んでいた欧米系のご婦人が流暢な日本語で言うではないか「私もそう思います」。 その後、JR の国会関係窓口に申し入れると、「夏には何とか改善の方向」という答えが返ってきた。さて、どうなったか? 巨大組織ほど、上の眼が末端に行き届かない。JR だけではない。交通標識も分かりにくいところが多い。これは国交省か? オリンピック目前、巨大組織ほど組織点検が急務だ。国辱をさらすことになる。