『日本よ、新しい時代に向かって踏み出そう』



学校法人拓殖大学 総長 渡辺利夫
聞き手/公益社団法人 国際経済交流協会 会長 米田建三   
(2015年4月発行World Navi)

忘れることのできない大空襲

米田 本誌創刊以来続けている「ナビ対談」ですが、教育界の方は先生が初めてです。ところで先生は甲府市内のご出身と伺いましたが、私は長野県の大町市出身ですので、中央線でつながるというご縁も感じております。
渡辺 今日は3月10日で東京大空襲の日ですが、甲府も徹底的な空襲を受けました。山奥の当時人口8万人の小さな町に昭和20年7月6日、B29が139機来襲し70万トンの焼夷弾、爆弾を落として1127名が死亡。そのうち427名が湯田地区ですが、そこは私が住んでいたところです。甲府の町を、逃げられないように全部焼夷弾で囲んでその真ん中が爆撃されたんです。
米田 お送りさせていただいた私の著書『日本の反論』で空襲の記録をつづりました。70年前の9日の未明からの東京大空襲で、約10万人が亡くなられました。空襲だけ考えても日本全国の民間人の被害は相当なものがあります。あれは明らかに非戦闘員に対する無差別攻撃を禁じた戦時国際法違反です。私は反米主義者でもないし日米同盟は大事だと思っていますが事実は事実として日本人がしっかりものを言うという習慣をそろそろ身に付けなければならないと思っています。
渡辺 そうです。言わなきゃいけない。少なくとも記録はきちっとして相互に共有することで、彼等にも事実を知らせておくことがどうしても必要です。

自国の主張を語らず、むしろ封印する日本官僚による国益毀損

米田 しかし日本の政府、なかんずく対外発信が責務の外務省を中心とする官僚諸君も、これまではっきり自己主張してこなかった。政府や行政組織がまず口火を切らないと。
渡辺 まことに残念なことですね。私も去年一年間は大きな挫折の年でした。朝日新聞がまだ8月5日、6日のいわゆる従軍慰安婦問題に関する自己批判をやる前段階のことです。
 南京事件、従軍慰安婦、靖国、その他色々ないわゆる歴史認識問題に対して、日本のまっとうな学究たちはこういう研究成果を残している、日本の主張はこうだ、日本人はこう考える、それはアメリカのクオリティーペーパーが言っているものとは明らかに違う。そういうことを主張する英文の本を、亡くなりました岡崎久彦さん、東大の伊藤隆さんに監修をお願いして、私と古森義久さんが裏方となってつくろうとしました。政府がやらないなら、民間人がやらなければ、と始めましたが、一気に資金ショートでどうにもなりませんでした。また英文で出版するとなると陰に日なたに圧力がかかってもきました。
 いまの時代、本にして出すだけでは影響力が少ない。やはりwebでないとだめですね。アメリカの『フォーリン アフェアーズ』や、『ザ ディプロマット』など知識人の多くが読むwebに、一つ一つを載せていこうと戦略を立て、交渉を始めましたが、てんで取り上げてはくれません。
 英語は欧米の知識人の胸に響くようなビューティフルな英文でなければなりません。これは翻訳というよりもリライターの仕事です。いくら英語の上手い日本人でもダメです。日本人の心を知りアメリカ人の心をも知っている人。そういう人材が渺たるものであることにも気付かされました。制作しても、取り上げるかどうかは『フォーリン アフェアーズ』や『ザ ディプロマット』の編集長の考え如何です。苦労が報われることはありません。
 やっぱりこれは民間の仕事じゃなくて外務省の仕事であろうと、岡崎先生ともども外務省の関係にもお会いしました。でもだめでしたね。
米田 ところで最近の報道で、外務省関係者に、従軍慰安婦という虚偽のプロパガンダに今まで反論しなかったのはなぜかと問いただしたら、「日韓条約で相互に請求権放棄となっているので、個別には議論しなくていい」という判断をしていたという答えだったというのです。愕然としました。こういうアタマでは、相手は嘘八百言いたい放題です。
渡辺 いかにも官僚の理屈ですね。従軍慰安婦問題について言えば、中国と韓国に外交的な優位性を許すのみならず、倫理的、道義的な優位性を与えてしまったという意味で、これほど日本の威信と国益を毀損することは他にないほどのものです。
米田 実は私は安倍総理とは縁があって様々な形で意見を言う関係ですが、総理は日本の情報戦の不足、弱体化している現実を重々承知していますよ。ただ官僚機構という土台の上に立たないとなかなか仕事が進まないから、大変強力な基盤を得たとは言われながらも、なかなか自分の思う通りにやり切れないのではないか。安倍総理が存分に官僚機構を使いこなして、その志を果たすことを期待したい。ところで、明治期の指導層の明晰さ、柔軟で的確な対処能力は、今日に比して際立っていますね。

明治期日本指導層は何が違っていたのか―学歴エリート制の弊害

渡辺 日本は明治維新後に帝国主義真っ盛りの世界に飛び込みました。今より情報もかなり少なかった時代ですが、情報収集の上で的確な判断をして国益を守ろうと必死の努力を重ねました。おっしゃるようにあの頃の指導者は、少ない情報を的確に読みかつ発信する力量がありました。福澤諭吉、陸奥宗光、小村壽太郎などです。
 日清戦争も日露戦争も情報戦で勝ったという側面があるんです。トータル戦力から言えば日本が劣勢であったのは明らかでした。日清戦争も袁世凱率いる北洋艦隊が日本を圧していました。北洋艦隊がやって来て日本を威嚇した長崎事件もありました。
 日露戦争は、実に世界最大の陸軍大国との戦いです。これも緒戦で叩くという戦略で勝ちました。やがてバルチック艦隊が動くだろうと判断し、艦隊の通る航路を的確に予測してパーフェクトゲームをやる。その後のポーツマス講和条約では小村壽太郎がまことにタフな外交を展開しました。
 なぜそれほどの強力な外交が小国の日本でできたのか。一歩間違えば国が潰れてしまうという圧倒的な危機感を指導者が心に刻み付けていたからです。諜報活動も少ない資金ながら存分なことをやってきました。相手の条件に対してはすぐに対案を、少しでも自分に有利な対案をぶつけます。それから語学力ですね。語学力は今の人間が優れているように思われていますがとんでもない。ポーツマス会議の初日のアジェンダは何語でこの会議で交渉するかでした。小村は数カ国語の言葉を操ることができました。
米田 頭を柔軟にして縦横無尽の行動を展開し、有効な手立てを講ずるのが外交であり軍事であるはずです。私は戦前のある段階から日本の指導層が全く変わってしまったのではないかと思うのです。300年続いたいわば王朝である徳川幕府の権力構造を打倒したのが明治維新です。それに参加した人々、言わば「革命世代」やその人たちから薫陶を受けた政治家や官僚が日本の政治をリードしていた明治期は極めて見事にヒットを打っていたと思います。軍官僚が発生して、陸士で優秀な者が次は陸大へ行って、というペーパーエリートが実権を握ってから、どうもやり方が下手くそではありませんか。「革命世代」は少なくとも、精神論で非合理性を糊塗して、負ける戦いに突っ込むなんてことはしなかった。
渡辺 西南戦争はもとより、日清戦争、日露戦争の指導者は、いずれも「修羅場」をくぐってきたかつての武士です。日露戦争以降は陸軍幼年学校から出発する学校エリートが指導者になっていった。つまり近代国家の教育近代化メカニズムが生んだ学歴エリートの軍人です。国家がどうやって生存していくかという大局を見る指導者は失われていきました。学歴エリート制の失敗が露呈してくる境目は満洲事変あたりでしょうね。

多様性が危機における強靭さを育むことを世界に証明した江戸時代

渡辺 江戸時代265年間の平和を経て、一挙に明治維新から近代国家をつくるための努力が花開きました。どうしてそんなことが可能だったのか。江戸時代の日本は言葉の本当の意味でヨーロッパに僅かな例しか見られない封建国家でした。多くの藩主がいて地方の各藩に固有の産業、固有の農産物、固有の技術、固有の貨幣もあり学問もあった。日本は考えてみると地方性に富んだ多様な地方の国ではないでしょうか。
米田 本来そうですね。
渡辺 江戸時代は幕府による中央集権的な国家だと思われますけど、それは全く嘘です。幕藩体制と言われるように、徳川藩と全国有力藩の連合体ですね。地方にしなやかな力が溜まっていた。これが一旦緩急あらば一挙に凝集されて物凄い力となります。それこそが明治維新なんですよね。
 例えば中国と比較すると一番分かりやすい。中国は王朝の専制体制で天子様の命令に全部従う中央集権国家ですが、案外脆いものですよ。日本のように地方に広く分散されていた人材、産業、富、学問、技術が、ある凝集力をもったときの強さというものを私は明治維新のなかに見ます。
 だから多様であることが強靭性の淵源なんですよね。日本がほかのアジアの国に比べて大いに発展した近代史を持ちえたのは、十分に理由のあることだと私は考えています。

グローバリズムをナショナルの否定の上に構築するのは間違いだ

米田 グローバリズムという視点の必要性は否定しないが、それがナショナリズムの否定に連動することには反対です。国家や国境無き世界は甘美な夢想ではあるが、現実の世界は国家の枠組みをベースに、せめぎ合いが続いていく。この二面性への目配りができる知性が必要だと思います。
渡辺 全くおっしゃる通りです。グローバリズムという言葉は最近でてきた言葉で、かつてはインターナショナリズムという言葉が使われました。私はよく言っているのですが、インターナショナルからナショナルを取ると何が残るか。インターという何の意味もない形容詞が残るだけです。つまりナショナルであって初めてインターナショナルであり得る。日本の歴史や文化や伝統に対する強いコミットメントがあって初めてインターナショナルたりうるのだ、今の言葉であればグローバルたりうるのだ、ということですよね。
 いま盛んに言われている、ナショナルなるものを否定することでグローバリズムが成立するかのような議論は非常に危険です。あらゆる教育機関で「グローバル人材の養成」がうたわれていますが、具体的にどういう人材か、と問うてみるとほとんどが答えられない。英語が自由に喋れて、タフに個人レベルでもって外国人と交渉ができる人物、なんてことが具体像として捉えられているらしい。すれっからしですよ、これでは。どうしてそこにナショナルって観念が出てこないのか。
 我が大学には、新渡戸稲造という、拓殖大学第3代学長の後藤新平が招聘した植民学の教授がいました。日本が第一次大戦後の国際連盟に加盟したとき、その事務局次長をやった人物です。今も昔も国際権力政治の修羅場であるジュネーブで水際立った能力を見せた辣腕のグローバリストでした。新渡戸は「ジュネーブの星」とまで言われ、また「背広を着たサムライ」とも呼ばれていたそうです。しかし彼は同時にナショナリストそのものでした。彼の代表作が『武士道─日本人の魂』です。「勇気」「誠実」「名誉」「忠義」「廉恥」という武士道の徳目を現実政治の場で演じた人物でもあります。

GHQの残存勢力である敗戦利得者(左翼リベラル)が日本を貶めてきた

渡辺 私が大学という場にいて強く感じるのは、憲法学者、教育学者、歴史学者、この3つの分野の研究者のあまりに左翼的なリベラル主義的な傾向です。GHQの占領は7年間で、その初期と後期とでは随分違うわけですが、初期のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム、つまり日本人に罪の意識を植え付けるあのプログラムに乗ったのは日本人でした。特に憲法学者、教育学者、歴史学者、朝日新聞を頂点とするジャーナリズムです。それらが戦後の日本の思潮を形成した主人公です。
 岡崎久彦さんもそう言っていますが、敗戦からサンフランシスコ平和条約に至る占領7年間に、人生で最も多感で、最も思想的な影響を受けやすい青春時代を送ってGHQプロパガンダに染まりきり、愛国者が公職追放されたあとの官界、学界、ジャーナリズムなどを占領した人々が彼らです。彼ら「敗戦利得者」が、その後の日本のリーダーになっていったのですね。このことを考えると、占領は7年で終ったのではなく、その後の大変に長い期間、「GHQなき占領」が継続されたと考えなければなりません。
米田 政治的には選挙というメカニズムの中で自由民主党が政権を握っている時間が長かったけれども、全体的な思想潮流や、あるいは国民の間に漂っている空気としては、戦後リベラリズムが実は権力です。彼らは反権力じゃない、実に権力そのものです。
渡辺 おっしゃる通りです。第一権力ですよ。日本人は良く言えば許容力があるということなのでしょうが、外国から言われてもまあこのくらいのことまでは言わせておけという度量がありましたが、この度量ももう限界なのでしょうね。安倍政権が登場し、従軍慰安婦に関する河野談話が生まれた経緯の政府検証、集団的自衛権に関する政府解釈変更に関する閣議決定、さらに朝日新聞による吉田清治証言記事の取り消し、挺身隊と従軍慰安婦との混同に対する理解不足への反省、というところまではきましたね。
 なぜ朝日という一大権威がその誤りを認めたのかというと、やはり販売店を通じての読者からのクレームがあって、思想の転換をする気はないけども、経営的にこれではもたないという危機意識があったからだと思うのです。
米田 戦後リベラリズムは、それを唱えることによって大いに飯が食えたわけです。これを断つべきですね。

日本よ、自ら変われ―それ以外に選択肢はない

渡辺 私は講演を頼まれると必ず言うことにしていることがあります。日本はいま韓国や中国に非常に責められている。アメリカのクオリーティペーパーまでが日本を修正主義の国だと糾弾しています。これらに対する日本国民の許容度はもう限界を超えましたよ。しかし、ここで日本人が反韓、反中、反米をやっても、何の効果もありません。日本人が変えることのできるのは日本しかないのです。そして日本が変われば、断定はできませんが、韓国も中国もアメリカも変わる可能性があります。日本が変わること、それ以外に日本のオプションはないということです。
 例えば靖国の首相参拝がなぜ問題になるかというと、日本人が騒ぐからです。陛下が、首相が参拝をされ、日本人がこれを当たり前のことだと考えるようになれば第三国の外交カードには一切なりません。「日本人よ、変われ」です。いまこそまさにその潮目の時ではないでしょうか。

自己肯定感を破壊して若者を無力化・暴力化した戦後教育

米田 本来潜在的には日本人には大変な知恵がある、これには自信をもっていいと思いますが、それをどう発揮していくのかが課題です。まさに先生が今そのお立場にある教育というのが大変に大事だと思います。
渡辺 自己肯定観と言いましょうか、これが今の若者たちには育っていない、という感じを私はここのところ強く持っています。母親や父親から愛され兄弟からも愛されることによって、自分は世の中にこうやって受け入れられていくんだという自己肯定観が段々育って、社会に出て一人前の人間になる。そうして子供は親離れし、親も子離れできます。こういう自己肯定観をなんとかして育成できないものかと考えているのです。
 そのために大切なのがやっぱり近代史教育です。今の子供たちは自分の国を肯定的に受け入れることができないのです。だからインターナショナリズムと言っても、日本人としての自己肯定観を持っていないがゆえに、ナショナルにはなかなかなり得ない、ただ英語の喋れるだけの「国際人」を生産していくことになってしまっています。
 このことに多くの人が気付き始めているような気がします。特に近代史の教育に力を入れていこうという気運が高まっています。しかし、これまで堅固に築かれたジャーナリズムや教科書会社に抵抗するのは大変なことです。しかし、来年4月の教科書採択で自由社と扶桑社で合わせて10%近くにもっていき、それがやがて20%くらいになったら日本も急に変わっていくのではないでしょうか。一つの突破口だと思います。
 大学についてですが、この4月1日施行の教育基本法で、学長の権限を強め、教授会を学長の諮問機関にするという改革がなされました。画期的なことです。特に弱小の私立大学にとっては。学長の権限を強めなければ左翼リベラリストの跳梁を止めることはできません。実際、私の知るいくつかの大学ではこれを契機に非常に大きな変化が生まれてきました。施行前にすでに抑止力が働き始めているのです。
 酷いのが憲法学です。憲法学で今テキストに使いたいような本がないのです。歴史については、総長になって時間的に余裕が出てきましたので、去年から近代史講義を始めました。この本は去年の講義をまとめたものです。『アジアを救った近代日本史講義 戦前のグローバリズムと拓殖大学』(PHP新書 2013年)です。
 東大を頂点にして偏差値で大学のランキングが決まっています。そうすると不本意学生ばかりが再生産されてしまいます。劣等感というのは、実に暴力的な感情です。この感覚をもたされると、本気で大学で勉強しようという気分にはどうしてもならないのです。これを克服するために一年生の前期にこの講義をやっています。君たちの入った拓殖大学というのはこういう大学だ。先学はこういう苦労をして今日の拓殖大学を築いてきたのだ、という話をします。そうすると彼らが変わってきますね。大学に対するコミットメントが明らかに強まってきます。

共通の社会的記憶が歴史である─70年の断絶を回復するときがきている

米田 素晴らしいですね。しかし日本史が長く受験に必須でなかったこともあり、自国の歴史について何も知らない国民が増えました。国民には共通の言葉があるものです。例えばそれは歴史上の人物で、源義経って言ったらほぼ国民共通のイメージがあるはずです。歴史とは国民共通の物語ですから。つまり基本は歴史教育であり歴史の知識ではないでしょうか。このままでは民族固有の物語が日本から無くなってしまいます。
渡辺 私は日本史とは、日本人の「共通の社会的記憶」だと考えています。それは神話もフィクションも含むかもしれない。できるだけ客観的であることが望ましいけれども、建国物語っていうのは大体グレーなものですよね。
米田 それは物語、ロマンだということでいい。それを史実と言ってゴリ押しするとおかしなことになる。我々はこういうロマンで我が国の歴史をつくってきたということでいいのです。
渡辺 そうなんですよ。あくまで共通の、というところが重要です。しかも日本という国ほど、世界の中で同質的で連続的な歴史を紡いできた国はどこにもありません。言語的にも同質的で、またいわゆるエスニシティの面からも、これは遺伝子解析で最近随分解明が進んでいる分野ですが、こんな同質的な国家ないですね。
米田 当然ミックスではあるけども他国と比較したら極めて同質的ですね。
渡辺 宗教についても、日本に宗教があるや否やについては色んな議論がありますが、少なくとも一神教ではない。宗教を原因に民族が分裂した歴史は全くありません。世界で人種、言語、宗教についてこんな条件をもつ国はありません。
 日本の歴史は連続的なのです。同質的であるがゆえに連続的です。共通の歴史的記憶を辿るのにこんな適切な国はありません。GHQの占領期以来の70年の断絶を元に戻す、そういうチャンスが到来していると私は思うのです。
米田 本当に若い世代の教育の最前線に立って奮闘しておられることに敬意を表します。安倍政権のいまは日本にとって得難いチャンスです。私も国家・社会のために全力で取り組んでいきます。
本日は有難うございました。