飛躍のポテンシャルを秘めた国
――日本企業最多進出の中欧・ポーランド


リーマン・ショック後も安定的に成長続けるポーランド。実は日本とは経済的なつながりばかりか、深い縁もあり、きわめて良好な関係にある。遠くて近い中欧の国・ポーランドについて、ツィリル・コザチェフスキ駐日大使に話を聞いた。

躍進するポーランド
―先ごろ、ポーランドのトゥスク首相が次期EU大統領(正式には欧州理事会議長)に選出されました。
大使 ポーランドにとって今年は、共産主義体制が崩壊して民主化に向かった1989年から数えて25周年の記念の年です。我々はその後、1999年にNATOに加盟し、2004年にはEUに入りました。だから今年は、NATO加盟15周年の年でもあり、EU加盟10周年の年でもあります。この記念すべき年に、我々のトゥスク首相が次期EU大統領に選出されるという栄誉に浴したのです。これはポーランドにとっても、世界にとっても大きな出来事です。 ツィリル大使はゼスチャーも交え、取材に応じた
 25年前やそれ以前のことを思えば、近年は政治的にも、経済的にも、本当に安定しています。ポーランドの歴史は戦乱に次ぐ戦乱の歴史で、一時は地図上から消えたこともありました。
 また、二つの大戦と、共産主義体制のソビエトの影響下に入るという厳しい試練も経ています。そうしてポーランドはいま現代的で安全な民主主義国家に生まれ変わりました。経済の面から言っても、現在、世界でもまれに見る急速な発展の途上にある国として注目を浴びています。
―ポーランドのGDP(国内総生産)は21年連続のプラス成長で、欧州で唯一リーマン・ショックやユーロ危機の下でも成長を維持して世界を驚かせました。この理由はどこにあると考えますか?
大使 いくつかの要因が考えられますが、まず一つは輸出量が減少せず、安定的だったこと。それから、銀行が適切な資産管理を行っており健全であったこと。そして国の債務残高を対GDP比55%以下に押さえ込んだことでしょう。債務残高が55%を超えそうになると政府が介入して制御するようにしています。不況の際に政治が経済に介入し、最悪の事態を回避するこの手法は、現在、EU各国で導入されていますが、その先駆けはポーランドだったのです。 
―285社もの日本企業がポーランドに進出していて中欧では最大です。ポーランドの魅力はズバリ何でしょう?
大使 まず、ポーランドは中欧最大のマーケットです。そして成長途上の、今後も拡大が期待できる国だということです。また、ポーランド人がきわめて親日的であるということ……。視察に訪れる日本企業は、そのあたりを見ていると思います。
 それから、低コストだけれど質の高い労働力。労働者の教育レベルも高いし、人材も豊富です。日本語の学習者も多い。経済特区は14区あり、国外の投資家に魅力的な条件も提供していますし、整備された港湾が二つあり、サービスも充実しています。
 さらに言えば、欧州の中間に位置していること。地の利がよく、西欧に対しても、東欧に対しても、生産拠点となり得ます。この地理的条件がゆえに昔は何度も戦争に巻き込まれて苦労しましたが、いまは逆にポーランドの強みになっています。
―主にどういった日本企業が進出していますか。
大使 たとえば、トヨタ。ディーゼルエンジン製造の最大拠点はポーランドにあります。またブリヂストンの欧州最大の生産拠点もポーランドで、すでに4つの工場が存在します。それから大手では、日立や日本ガイシなど……。昨年では、東海ゴム工業と住友ケミカルエンジニアリングが進出しています。

日本が救った765人の孤児たち
―さきほどのお話にもありましたが、ポーランドは欧州のなかでも特別な親日国として知られ、日本語学習熱も高いし、日本文化も親しまれている。これはどういう理由からでしょうか?
大使 いくつかの理由が考えられますが、大まかに言えば、情緒的・文化的な親和性、それから異文化への対応の共通性、そして歴史的な背景に基づく親近感でしょうか。
 まず、情緒的・文化的な側面から言うと、ポーランド人と日本人は気質的に非常に近いものを持っています。たとえば、しばしばポーランドの音楽家たちが日本で公演を行っていますが、日本の聴衆の反応がとてもいい、と口を揃えて言います。繊細で精神性を重んじるところなどが似ています。
 逆に、多くのポーランド人が日本文学やマンガなどの文化に非常な関心を持っているのもそのせいでしょう。柔道や空手、合気道といった武術を習う人が多いのも精神性と関わっているように思われます。最近では日本食も人気で、寿司バーなどが増えています。
 私個人のことで言えば、黒澤明の映画が大好きで沢山観ました。一方、日本では多くの方からアンジェイ・ワイダの作品に感銘を受けたという話を聞きます。かつて首都であったクラクフには、ワイダの提唱でできた日本美術技術センター『マンガ』があり、設立20周年を迎えた今年6月には安倍昭恵首相夫人も訪れました。
 次に異文化への対応ですが、ポーランドは幾つもの国と国境を接し、多民族国家の時代と単一民族国家の時代を両方経験してきました。周囲にはロシア、ドイツ、ハンガリーなどがあり、スウェーデン人が入ってきたこともあります。あるいはタタール人のような少数民族も存在します。そうしたなか、独自の伝統文化を守りながらも、これら異民族の多様な文化や制度を上手に取り入れ、独自の文化を形づくってきたのがポーランド人です。執務も多忙なツィリル大使
 一方、日本は島国で、ポーランドと地理的条件はまったく違ってはいるものの、やはり異文化を取り入れるのが上手い。この点でもやはり両国は似ています。
 もちろん、似ているところばかりでなく、まったく違うところもあります。たとえば日本人は慎重で準備に時間をかけ、よく組織されています。それと反対に、ポーランド人は組織を乱してでも結果を急ぐ傾向があります。しかし、こうした違いは大した問題ではなく、むしろさらなる友好の好機と考えるべきで、両国が尊敬しあって力を合わせるなら、お互いの足らないところを補いあって大きな事業を成功に導くことができるのではないか―そう考えています。
 そして、もう一つが歴史的な側面です。過去を振り返ると、ポーランドと日本のあいだには非常に麗しい、感動的な場面がありました。
 20世紀初頭、ポーランドはロシア、ドイツ、オーストリアに分割統治され、ロシア領で抵抗運動に参加した人々がシベリアに流刑されていました。また第一次世界大戦の際には、ポーランドがドイツ軍とロシア軍の戦場となったため、戦火を逃れてシベリアに流れ込んだ人たちもいました。両者を合わせると、1920年頃には15万から20万人規模のポーランド人がシベリアに住んでいました。
 そこに起こったのがロシア革命とその後の内戦でした。シベリア在住のポーランド人たちはこの世の地獄を経験します。厳寒の大地で宿舎を追われ、荒野を彷徨いながら、深刻な飢餓にさらされたのです。子供たちに食べさせたい一心で何も口にしない母親たちが、つぎつぎに絶命していきました。
 見るに見かねたウラジオストク在住のポーランド人たちは、当時シベリアに出兵していたアメリカ、イギリス、フランス、イタリアそして日本の各国に「せめて孤児たちだけでも救出してほしい」と働きかけを行います。ところが、欧米からの好意的な反応はなかなか返ってきません。そんななか、日本だけが手を差しのべてくれたのです。質問に注意深く耳を傾けることも
 1920年と22年の2回にわたって日本から船が出され、死線をさまよっていた計765人のポーランド孤児たちが日本の地を踏みました。その後、子供たちは体力を取り戻し、全員が無事ポーランドに帰国しました。
 このような素晴らしい思い出があるので、ポーランド人の日本に対する感情がよくないはずはないのです。だからこそ、阪神淡路大震災、東日本大震災など、日本が大きな災害に見舞われるたび、我々は居ても立ってもいられなくなるのです。ニュースを聞くと同時に、ポーランド国内の各地から多額の義援金が寄せられました。

今後の両国関係
―今後のポーランドの発展に日本はどのようなかたちで寄与できますか?
大使 ポーランドのように急速な発展を続けている新興国にとって、エネルギー面での安全保障は最優先の課題です。日本はすべてのエネルギー分野で最先端の技術を誇る国です。この方面で特に、我々は日本の協力を大いに必要としています。単にエネルギーだけでなく、省エネなど環境分野の技術も積極的に日本から導入させてもらいたいという考えもあります。
―日本の読者へ向けてひと言メッセージを。
大使 これまで日本人にとって、ヨーロッパといえばロンドン、パリ、ベルリンなどの西ヨーロッパのことでした。しかしこれからは、中欧のワルシャワ、プラハ、ブダペストにも注目していただきたい。これらの都市を擁するポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの4カ国で構成されているV4(中央ヨーロッパの地域協力機構。正式名称はヴィシェグラード4カ国)は、さらなる飛躍のポテンシャルを秘めた魅力ある地域です。V4の潜在力に日本の資金と技術が加わった時、素晴らしい成果が生まれるだろうと考えています。そのためにまず私がやらなければならないことは、ワルシャワと日本を結ぶ直行便の運行を早期に実現することですね(笑)。